usaginekoのブログ

子供がいない結婚生活

義母の一周忌まで 人が死んだら本性がわかる17

一周忌が無事に終わって、じーちゃんちに戻った。式場の人にそのまま渡しますと、頂いた香料をもらった。中身を確認した。じーちゃんとばーちゃんの兄弟やその子ども(義母の従兄弟)、義母の友達は、一周忌でどんだけお金がかかったのか、知らないので、香料は、一人あたり一万円だろうけど(ばーちゃんの兄弟は人数が多いので、一万円と決まっているらしい)、おばやおじは、高いことや、義母の為もあるけど、何より、じーちゃんの為に、じーちゃんやばーちゃん兄弟をよんでいることを知ってるし、あれこれ口を出してきたし、葬式の時にある程度の金を渡しているし、義母が亡くなる前までは、お祝い等も普通にくれていたので、おばとおじは、多めに出してくれるかなと旦那は少しだけ期待していた。血がつながっているから、信じたい気持ちもあったのだろう。それがなんと、一家族(おじおば夫婦、その子ども夫婦、子ども夫婦の子ども二人)で、2万円だった。来ただけで、7万円かかるのに、2万円は、ひどい。まあ、お金の問題じゃないが。義母のお墓参りに行ってくれるなら、いいなと思ったが、疲れたから、行かないと言って結局、私達と、おばの旦那しか、お墓参りに行かなかった。墓は、一キロ位しか離れていない場所にあるのに。お墓には、綺麗な花が飾られていた。義母の友達や会社の人にじーちゃんが、墓の場所を教えたと言っていたので、友達か会社の人が来てくれたのだろう。法事やるより、ずっと供養になるなと思った。命日にも、じーちゃんちにいくつかの花が送られてきていた。法事は何の供養にもならないと思い、私達は、三回忌は、やらないと決めた。そして、私達は、子どもがいないから、もらえることはないけど、一応、お年玉袋を持ってきていたが、香料の金額をみて、旦那と相談し、あげないことにした。去年、5万円あげたから、いいだろう。子どもも私達がケチとは、思わないだろう。思っても、どうでもいいけど。

じーちゃんは、義母と一緒のお墓に入りたいので、墓に義母の名前を彫ったが、おじには、じーちゃんの気持ちは、わからないのだろう。義母のお墓は、納骨堂のままだ。じーちゃんは、墓の問題で泣いていた。私達もお金の問題より、その事が一番悔しかった。

私達が用意したお供物や頂いたお供物、わざと多く用意したお返しもの(じーちゃんにあげるのと、仏壇におく、日持ちするものもあった)が、葬式の時と同じように全ていつの間にか、おばやおじ達に持って行かれた。のし紙だけ渡されて、香典帳に書いておけと、おじに言われた。私達は、祖父母の兄弟の法事によばれる事はないから、お前が書いとけ、くそジジイと、心の中で思った。

私達とおばは、じーちゃんちに泊まり、他の人達は帰った

            つづく

義母の一周忌まで 人が死んだら本性がわかる16

飛行機も、無事に飛び、北海道に着くことが出来た。

じーちゃんちに送ったお返しものに、自分で作ったのしと案内状をつけた。多めにお返しものをじーちゃんちに送っていたので、一つは、じーちゃんがいつもお世話になっている向かえの人にあげた。朝になり、親戚の人達がじーちゃんちにきた。式場は、じーちゃんちの近くにある。ばーちゃんの妹さんが、よく法事やったねと、私と旦那とじーちゃんにプレゼントをくれた。従兄弟達も来て、出産祝い等をもらっていた。おじは、2ヶ月の孫を紹介したくて、法事に連れてこさせたのではないか?と私達は思っていた。親戚と義母の友達が来る前に私達は、早めに式場に行った。

1月5日の法事なので、絶対、葬式と重なるなと思っていたけど、やはり、葬式があり、花代は、払うけど、葬式の人の花をついでに使ってくれていたので、お葬式と同じくらいの花で、葬式みたいな法事が出来た。25000円の花代だが、得した気分だった。私達が食事をしているときに、こつあげ法要?をあちらは、していた。あちらさんは、泣いているのに、私達は、楽しいそうに食事をしているので、トイレに行った人は、睨まれたと言っていた。凄い食事でみんなびっくりしていた。私はわざわざ、遠いところからきて法事して、大変だったねとか、素晴らしい法事だったねとか、旦那は、家出した息子がきちんと法事するなんて、どんな立派な家にお婿さんに行ったんだとか、言われた。みんなのところに、飲み物持って、挨拶やお礼をして回った。義母の話をする人は誰もいなかった。法事は、亡くなった人の話をするとネットで読んだけど、誰も話をしなかった。親戚のほとんどは、義母の従兄弟だ。あまり、義母を知らないのだろう。旦那が最後にお礼の挨拶をして、お返しものを渡し(お返しものももらえるのと、びっくりしていた人もいた)、無事に一周忌が終わった。

           つづく

義母の一周忌まで 人が死んだら本性がわかる15

年が明けた。私達は、まだ喪中だったけど、一年近くたっているので、初詣も行き、親戚意外には、普通に年賀状出していた。普通のお正月を過ごした。2日、実家(私達は、実家のすぐ近くに事務所兼住宅を建てた)に妹家族が来たので、実家に行き、飲んだり食べたり、正月番組を観ながら、お正月気分を味わっていた。そこにおじから、電話があった。あのお返しものは、いくらしたんだ?ときかれた。母が買ってくれたもので、値段はきいてないから、知らないけど、安くしてもらって3000円位だと答えた。そんなにするのか、と言われて、頭にきた。大体、料理だけで、一万円するのに。ネットで調べても、料理高過ぎなんだから。会場費もかかるのに。それなのに、じーちゃんが、お酒もつけろと言っているから、つけろと言われた。お金は、もちろん、お前たちが出せと、わざわざ、言ってきた。そのことを仕事に行っている旦那の休憩時間に旦那に電話で伝えた。そしたら、ブチキレて、いくら金使わせんだ、くそしじいと、じーちゃんに電話すると怒っていた。私は、ヤバいと思って、旦那にじーちゃんに電話をするなといい、お酒(小さいやつでいいらしい)を正月に開いている店もわからないけど、となりの町まで車を飛ばした。何種類かあったけど、数がないので、同じ値段のもので、似たようなやつを13本買った。5000円位だった。その時、思った。大した金額じゃないのに、どうしてじーちゃんは、自分が酒を付けたいと思ったのに、可愛い娘(義母)の為に、このくらいのお金も出せないのだろうかと。その理由は、この時分からなかったけど、あとで知ることになった。お酒は、北海道に送る時間がないので、自分で持っていくことになった。金は出すから、そっち(北海道)で、用意してくれてもいいのに、その位のこともしてくれない、おばやおじには、本当にムカついていた。重い酒を飛行機で運ぶことになった。

              つづく