usaginekoのブログ

子供がいない結婚生活

義母の一周忌まで 人が死んだら本性がわかる4

5日の早朝に、旦那は、飛行機に乗って、北海道に行った。新千歳空港に、おば夫婦が迎えに来てくれたみたいで、早く病院に着いた。旦那から電話があり、義母と話をした。義母は、一人息子に会えて、凄く嬉しそうだった。電話越しに、よく一人で飛行機に乗れたねーと、旦那に言っていたが、私が、チケット予約して、荷物用意して、車で送って、チェックインから、全てやって、最後まで、見届けたんだよーって、言ったが、聞いていなかった(笑)。義母は、旦那のおば夫婦(義母の姉夫婦)に迷惑かけたことと、急に体調悪くしたことを気にしていた。

私は、その日、早くやらなければならない仕事(自営業)をしていたが、義母の事が気になっていた。お医者さんと話をして、あと1ヶ月位だと言われたと旦那から、電話があった。旦那が、1週間、北海道にいて、そのあと、私が北海道に行って、看病するというようなことを電話で旦那と話した。私は、とりあえず、仕事を急ぎ、私の母や妹にその事を話した。私の母は、旦那が北海道行く前に、親孝行してきなと、お金をくれていた。

旦那とおば夫婦は、夕方、じーちゃんち(旦那の実家)に行って、夕飯を食べて、旦那は一人で病院に付き添う為、夕飯が終わったら、病院に戻った。その時に、義母は、トイレに行ったり、お風呂に入ってたりしたので(付き添う為、個室を取った)、旦那は外で時間を潰していた。

夜に、人工呼吸器をつけたと、電話があった。そんな状態で、一ヶ月持つの?と疑問に思った。夜中にまた、電話があり、もうダメだと、旦那が泣いていた。私は、母に電話して、チケットを取り、寝ないで、準備をした。結局、義母は、朝4時に息を引きとった。余命一ヶ月ではなく、一日も持たなかった。 

               つづく

義母の一周忌まで 人が死んだら本性がわかる3

1月3日に、義母が再入院し、旦那のおじから、義母が余命宣告をされていると電話があった。それから、私達は、ほとんど、寝ることが出来なかった。次の日、旦那は、会社に行って、母が余命宣告されているから、休みを取っていいかときいてきた。5日から休むことになり、朝一の飛行機のチケットを予約した。私は、数日後に、用事があったから、用事が終わってから、行くことにした。

4日の夕方、私は仕事帰りにガソリンスタンドに寄った。年末にオイル交換していなかったので、オイル交換をした。明日、朝、きちんと旦那を空港に送らないといけないと思っていたので、いつもと同じ判断が出来ず、バッテリー交換やその他、何だか忘れたが、新春キャンペーンで安いからと言われて、交換することになった(笑)。待っている間に、義母から、わ、とだけのメールが届いた。義母は、元々、メールを打つのが苦手で、タイトルのところに、本文を書いて、始めの方しか、話がわからない等、ちんぷんかんぷんなメールがほとんどだったので、いつものことと、体調が悪くて、わ、としか、打てなかったのかな?と思った。私は何が言いたいかわからなかったが、明日から、仕事が休みなので、旦那が北海道に帰ることをメールで送った。すぐに義母から、電話があり、急に体調が悪くなって、ごめんねと言っていた。私は、そんな事は、気にしなくていいから、早く体調戻して下さいねと言った。義母自身は余命宣告をされていると知らないので、息子が来たら、びっくりするので、仕事を休んだのではなく、休みだと言った。

やはり、ほとんど寝ることが出来ず、5日の朝3時過ぎに家を出て、旦那を空港に送った。最後まで見送って、家に戻った。

             つづく

義母の一周忌まで 人が死んだら本性がわかる2

義母は、肺にガンが転移したあと、3年後位に、肝臓にも転移したことを誰にも話していなかった。そういえば、その頃、私達が結婚式をあげていなかったので、ウェディングドレスを着せてくれて、旦那との写真を撮ってくれたり(20何万円か、払っていた)、高い旅館に連れていってくれたり(25万円位払っていた)、色々としてくれた。あとから知ったが、旦那の死亡保険は、義母が払っていて、受取人も義母だったが、解約金をもらっていて、私達に使ってくれたみたいだ。

義母は、11月の終わりから12月の始めに入院して、入院していることは、私達には、知らせなかった。電話を何回か、かけても出ないし、かかってくることもなかった。退院してから、電話があったが、旦那の入院保険は、受取人は、私にするから、私達で払ってと言ったり、携帯は2つ持っていたが、1つは解約するからと言ったりしていたので、仕事をやめるのかなと、その時は、思った。義母は、歳をとったら、あまりお金かからないようにしたいからと言っていた。

今思えば、義母は、この時、体調が悪く、ガンの治療をやめ、緩和ケアの体制に入ると決めていたのだろう。

普通に正月を過ごさせてあげたいと思い、体調が悪いことを、私達には、知らせないように、旦那のおじ(義母の弟)とおば(義母の姉)に言っていたみたいだ。

お正月になり、挨拶をするのに、じーちゃんちに電話したら、義母が出て、すぐにじーちゃんにかわるねと言って、じーちゃんに明けましておめでとうございますと言った。義母は、病院で働いていたので、いないだろうと思って、今日はお義母さん、いるんですねって、何も知らない私は、言った。12月末に仕事をやめていたと、あとから、知った。

初詣に行ったり、親戚と飲み食いをしたり、2日まで、普通の正月を私達は、過ごしていた。

              つづく