usaginekoのブログ

子供がいない結婚生活

ママと私の選択

ナナが一緒に寝てくれた。ほとんど、お腹の上で寝てくれた。嬉しい。9時頃、ドクターシーラボ頼んでいたので、クロネコヤマトが来たがナナがお腹にのっていたので、旦那さんに出てもらった。ナナが起きたので、2匹に餌をあげて、朝ごはん食べて、ソファーに寝た。午後3時まで、ダラダラ過ごし、運動して、シャワー浴びて、支度して、洗濯して、セブンでお弁当買って、旦那さんと食べた。実家に行って、洗濯物干して、乾いた洗濯物たたんだ。ママは暗くなるまで、仕事していた。

肺炎で入院した伯母がまだ、退院出来ないので、心配だ。伯母は、弟(パパ)のことをずっと可愛がっていた。パパが亡くなって、ものすごく、ショックを受けていた。入院している間も、お見舞いに行きたいとずっと言っていた。コロナ禍で会えずに亡くなってしまった。一番、伯母が落ち込んでいた。私と妹は、ママ派なので、ママが介護しなくてよくなったから、良かったと思っていたくらいだ。パパは人の世話になってでも、生きていたいタイプだ。死ぬ気なんて一切なかった。ママと私は、パパが入院したとき、一切、延命治療をしないというとこにサインした。パパにきけば、いいのに、家族にきかないで欲しい。パパは認知症でないのだから。旦那さんのじいちゃんやばあちゃんは、最期まで、色々と治療してもらい、なかなか、死ねなかったが、パパは、あっさり死んだ。家族の到着を待たないで、息が止まったら、すぐに、装置を外され、しばらく、放置されていた。私とママが病院についたら、病室から、パパを個室に運んで、先生をよび、死亡確認した。本当は、もっと前に死んでいた。パパが嚥下障害で、ご飯が食べれなくなり、胃瘻は、やらなかった。点滴の栄養だけ。体力がなくなり、敗血症になった。誤嚥で何回も肺炎を繰り返していた。苦しみながら、長生きするより、絶対、楽になった方がいい。パパ、楽になって、良かったよね。昭和63年に怪我してから、今まで、よく生きたね、パパ。70代まで、生きれると思わなかった。腎臓取って、透析して、17年。孫の顔も見れて、孫が小さい時は、まだ、元気であちこち、孫と出掛けることが出来て良かったね、パパ。早く子ども生んでくれた妹に感謝。私たちも、いずれそっちに行くから。